第11回:【書評】松尾陽編著『アーキテクチャと法―法学のアーキテクチュアルな転回?』

1.はじめに:アーキテクチャとは何か

 プライバシー・バイ・デザイン*1という考え方がある。たとえば、監視カメラのプライバシー侵害を低減するために、監視映像を暗号化する技術を利用する*2など、物理的・技術的方法によってプライバシーを保護することの意味は小さくない。そして、このような物理的・技術的構造をさす「アーキテクチャ」は、本連載の主題であるプライバシーの保護の問題とも密接に関わる。

 「アーキテクチャ」は概ね「何らかの主体の行為を制約し、または可能にする物理的・技術的構造」と理解される*3ところ、実際はその内実は非常に豊富であるが、どちらかといえば、情報技術に関する議論の文脈で耳にしたことのある人の方が多いかもしれない。例えば、ローレンス・レッシグ教授の、〈規制の方法には法(Law)、市場(Market)、規範(Norm)、アーキテクチャ(Architecture)という4種類があり、インターネット上の規制においてはアーキテクチャによる規制の重要性が高い〉といった指摘*4は有名である。現に、アーキテクチャと法をめぐる問題について日本で最も包括的な検討をしていると思われる単著である成原慧『表現の自由とアーキテクチャ』*5では、現実空間の物理的なアーキテクチャについても説明されているものの、やはり主としては、プログラム・コードをはじめとするデジタルな(技術的な)アーキテクチャが情報法や表現の自由に与える意義について論じられていた。

 確かに、そうしたサイバー・スペースにおけるアーキテクチャの議論は、特にデジタル化やインターネットの利用が進む現代社会において重要な意義を有するが、これ以外にもアーキテクチャ論には様々な内容があり、様々な法的問題とからんでいる。つまり、アーキテクチャと法をめぐる問題は、情報法や表現の自由との関係においてのみ重要なのではない。このことを示すのが、松尾陽編著『アーキテクチャと法―法学のアーキテクチュアルな転回?』(弘文堂・2017年。以下「本書」という)である。

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2.本書のみどころ

(1)本書の構成

 本書に収録されている以下の諸論文では、様々な分野の研究者によって、法とアーキテクチャをめぐる様々な問題が論じられている。
・松尾陽(法哲学):「『法とアーキテクチャ』研究のインターフェース」
・成原慧(情報法学):「アーキテクチャの設計と自由の再構築」
・山本龍彦(憲法学):「個人化される環境―『超個人主義』の逆説?」
・稻谷龍彦(刑事法学):「技術の道徳化と刑事法規制」
・栗田昌裕(民事法学):「アーキテクチャによる法の私物化と権利の限界―技術的保護手段は複製の自由を侵害するのか」
・片桐直人(憲法学):「貨幣空間の法とアーキテクチャ」
・横大道聡(憲法学):「憲法のアーキテクチャ―憲法を制度設計する」
これらの論文は、情報法、法哲学、憲法、刑事法、知財法、金融法と幅広い範囲を扱っており、またそれだけに、そこで論じられる「アーキテクチャ」の内容も多様である。

 このような本書の特徴は「論者の関心の多様性と、そこでアーキテクチャという言葉に込められている意味の広がり」(本書227頁〔大屋発言〕)という表現で総括することができるだろう。このことは、アーキテクチャと法という問題が「法」に関わるあらゆる人々にとって重要となりうることを示している。要するに本書には、およそどのような法分野、法的問題に関心を持っている読者であっても、「面白い!」と思える部分があるということである。以下、かいつまんで紹介していこう。

(2)情報法

 まずは情報法に関するものである。たとえば、「キャス・サンスティンのアーキテクチャとローレンス・レッシグのアーキテクチャの違いはどこから来ているのだろうか」といった疑問を持っていた人もいるかもしれない*6。これに対して、成原論文は両者の自由観の違いをもとに説得的な説明を提供する。サンスティンは、一定のアーキテクチャのもとで与えられる選択肢の範囲内での「選択の自由」(選択肢Aを選ぶか、Bを選ぶか、Cを選ぶかという自由)という自由観に親和的だが、レッシグは、選択肢を含むアーキテクチャの設計のあり方そのものを問い直して別の形に再構成するプロセスに関与する自由(そもそもすべての選択肢を拒絶したうえで、新たな選択肢を創り出したり、既存の枠組みに挑戦する自由)という自由観に親和的だという指摘(本書52〜53頁)は、非常に説得的かつ明快である。

(3)消費者法

 また、消費者法の観点から興味深い点も見受けられた。最判平成29年1月24日(判例集未登載*7)は、新聞折り込みチラシにつき、(傍論ではあるものの)「事業者等による働きかけが不特定多数の消費者に向けられたものであったとして、そのことから直ちにその働きかけが」消費者契約法上の「勧誘」にあたらないとはいえない、と判示しており、広告のような不特定多数に対する働きかけは「勧誘」にあたらないという消費者契約法についてのこれまでの行政解釈*8を実質的に変更するものであったところ、本書の山本論文は、環境の個人化という文脈のもとで「近年のターゲティング広告は、これを徹底的に『個人化(personalize)』しようとする。それはもはや、『広告』というより、特定の者に向け、その者の意思形成に直接の影響を与えようとする『勧誘』(消費者契約法4条)にも似た行為である」(本書71頁)としており、まさにこのような最高裁の判断の背景や、最高裁判決のいわば「射程」を考えるうえで、参考になる*9

(4)刑事法

 さらに、稻谷論文は、技術の道徳化と刑事規制の説明の中で、完全自動運転車(Autonomous Cars)を例に挙げている。すなわち、完全自動運転車の開発には、搭載する人工知能の学習のために一定の危険を伴う公道実験が必要不可欠であり、仮に完全自動運転車が実現したとしてもその人工知能はいわば常に学習途上・発展途上にあり、かつこの種の人工知能の働きを完全に予測することはできないから、自動運転車が人の死を伴う事故を引き起こすことは避けられない。このような場合に、自動運転車の開発者は責任を負うべきであろうか(本書109~110頁)。

 ここで、稻谷は、外形的にはこのような事故につき開発者に構成要件該当性・違法性・責任は認められるものの、許された危険の法理、正当業務行為、特別の許可等により開発者の処罰を免れさせるという解決はありうるのであって、このような法理や政策配慮により、完全自動運転車が社会全体にもたらしうる利益が刑事罰により封じ込められる危険を回避できるとする。またそのうえで、このような解決と従来のヒューマニズムに基づく刑法理論の間の相克についても論じている(本書110~111頁)。

 そもそも今後の自動運転車が、稻谷論文の想定していると思われるような人工知能が搭載された各車両が単独で走行し、単独で危険等の外部状況を察知し、単独で判断するものとなるか、それとも、高度道路情報システム上で車両がネットワーク化されるものとなるのかは議論があるところであろうが、いずれにせよ、単純に従来の法理である「許された危険の法理」等を用いて妥当な解決を導こうとするのではなく、そのような解決が従来の刑法理論と整合するかを精緻に検討すべきという示唆にはハッとさせられる。自動運転車に関する刑事法的議論がさらに活発に行われ、従来の刑法理論を乗り越える新たな刑法理論の議論(稻谷論文のいう「刑法理論」の「再構築」)につながることを期待したい。

3.巻末の座談会にも注目

 このような珠玉の論稿群によって構成される本書を読むと、各論者によってニュアンスは違うが、素直な読者であれば、「アーキテクチャ論は多様なものへと発展しつつあり、様々な分野で応用の範囲が広がっていくのだな」といった感想をもつことだろう。しかし、本書はそれにとどまらない。その巻末には、読者をさらに一段階上のフェーズへといざなってくれる仕掛けとして、座談会「法学におけるアーキテクチャ論の受容と近未来の法」が収められており、こちらも必見である。

 そこでは、法学者としては先駆的にアーキテクチャ論を日本に紹介した大屋雄裕教授をゲストとして迎えて激しく議論がたたかわされる。特に筆者(松尾)が興味深く思ったのは、上記のようにアーキテクチャが多様で広がりを見せているという状況について、大屋教授から「議論が発展してきたのと同時にある種拡散してきている。しかしもともとアーキテクチャが社会統制の多様な手段の中から一つのありようを切り出したものだという点からすると、外延が広がり過ぎることは、その固有性、特殊性を失わせることにもつながりかねないのではないか」(本書227頁〔大屋発言〕参照)と、厳しいコメントがなされる等、本書所収の各論文における議論を再度問い直していることである。

 また、本書で著作権法に関する一章を寄せている栗田昌裕准教授も、アーキテクチャ論の安易な受容が既存の法学理論との接続を疎かにしてしまう可能性については、明に暗に、手厳しい批判を展開している。これらはある意味では、本書の議論の全否定にすらなりかねないわけであるが、読者が本書の諸論稿を批判的に再検討し、さらに発展した「読者自身のアーキテクチャ論」を構築するよい機会を与えているといえよう。

4.おわりに

 本書は、読者がそれぞれ関心を持つ部分だけを読んでも十分に刺激に満ちたものであるが、それだけではなく座談会の議論をふまえて再度各論稿の内容を問い直したり、前出の成原『表現の自由とアーキテクチャ』をあわせて読むことでさらに深堀りしたりと、本書の楽しみ方は様々である。「法とアーキテクチャ」の問題にもともと関心をもっている人はもちろん、法律に関心をもっている読者であれば、本書のどこかに、必ず琴線に触れる部分があるのではないだろうか。

 法学に関心を持つ多くの皆様に、本書をお薦めしたい。

(松尾剛行)

*1:様々な技術の設計仕様にプライバシーの考え方を埋め込もうという哲学とその実現手法をいう。

*2:アン・カブキアン(堀部政男ほか編/JIPDEC訳)『プライバシー・バイ・デザイン』(日経BP社・2012年)125頁以下

*3:成原慧『表現の自由とアーキテクチャ』(勁草書房・2016年)93頁。

*4:Lawrence Lessig, “The New Chicago School,” Journal of Legal Studies, Vol. 27 (1998), pp. 661-.

*5:成原・前掲注3。

*6:筆者(松尾剛行)も、レッシグのアーロン法の講演(本書56頁脚注58参照)に参加し、感銘を受ける一方で、サンスティンのアーキテクチャ論との違いをうまく言語化できないでいた。

*7:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/454/086454_hanrei.pdf

*8:消費者契約法4条の文脈だが、たとえば消費者庁消費者制度課『逐条解説消費者契約法〔第2版補訂版〕』(商事法務・2015年)109頁は「広告、チラシの配布」等の不特定多数向けのもの等客観的にみて特定の消費者に働きかける場合について「勧誘」に含まれないとしていた。

*9:なお、同判決を受けた最新の消費者庁の解釈では「商品を購入した場合の便利さのみを強調するなど客観的にみて消費者の契約締結の意思の形成に影響を与えていると考えられる場合も含まれる」とされている(http://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_system/consumer_contract_act/pdf/annotation_170220_0007.pdf)。なお、松田知丈「消費者契約法の『勧誘』の意義」NBL1092号(2017年)65頁等、評釈が公表され始めており、今後このような点を踏まえたより精緻な議論が重ねられることを期待したい。